1990年生まれ。埼玉県出身。高校・大学はスポーツ推薦で入学。大学では体育教員の免許を取得したものの、いち早く成長したいという理由から、ヘッドハンティング兼採用コンサルティングを行うベンチャー企業に入社。起業を志し、ハードな環境下で猛烈に働く。3年勤めた後縁あってUZUZに入社し、営業・キャリアアドバイザー業務に従事。2年目に営業部長、3年目で事業部長、4年目には横浜支店長を経験し、2020年10月最年少で執行役員に就任。現在はグループ会社ESES(イーエス)・Otaks(オタクス)代表としても活躍。
振り返れば私の学生生活は「スポーツ」と共にあったなと思います。
小さい頃から運動が得意で、水泳や器械体操、柔道に野球とあらゆるスポーツをやっていました。足も速く小学生の時は学校で一番の俊足だったので、当時はとにかくモテていた記憶があります(笑)。
中学で未経験から始めたバスケにのめり込み、高校も推薦で入学。周りの上手い人に負けじと誰よりも練習した結果、部長を任せてもらえるまでになり、大変ながらも充実した日々を過ごすことができました。
大学に関しては、運動経験やリーダー経験などから、親に「体育教師が適任」と言われていたため、教員免許が取れる学校に進学しました。ですが正直なところ勉強は二の次で、朝から晩までバイト漬けの毎日でして……。
私が働いていたのはデリバリーサービスを行うお寿司屋さんで、高校生の頃からお世話になっていたんですが、これがもう楽しくて!お店を回す経験、新人教育、売上を上げるための施策や仕組みづくりなど、自分でどんどん考えて実行できる環境だったんです。
この経験のおかげで「働く=楽しい」と思えるようになった気がします。
元々教員を目指し大学に入った私でしたが、一企業で働く楽しさも知ることができたので、民間企業の就職活動もやってみたんです。そしたらなんと、ありがたいことに複数の企業から内定をいただけまして。
嬉しかったんですが「教員の道に進むか」「一般企業に就職するか」決めきれず、どうしようかと思っていた時、内定を獲得したある一社から食事会に誘ってもらったんです。
そこで「安定した環境と自分の努力次第で成り上がっていく環境、白川くんはどっちがいい?」と訊かれて、ハッとしました。
スポーツばかりやってきて、正直勉強面には全く自信がない自分。でも、そんな自分も頑張れば更にステップアップできるかもしれない。自分の力がどこまで伸びるか試したい。
こう考えた時、教員として働くのは「違うな」と思い、食事会に誘ってくれたその一社、前職への入社を決めました。
意気揚々と入社したものの、私を待ち構えていたのは「高い壁」でした。
新入社員は最初の研修として飛び込みで名刺交換を行うのですが、私は全くと言っていいほど交換できず、成績は同期の中でずっとビリ。
次に行ったテレアポ研修も、電話をかける相手が社長だったこともあり、勉強を一切してこなかった私は質問の意味さえ分からずまたビリになりました。
どちらも1位を取っている同期や、結果を出している先輩に質問しまくることで突破方法が分かり、成績は何とか持ち直しましたが……。
いくら勉強が苦手とはいえ、これまでの人生それなりに上手くやってきた方なので、同年代の同期の中で「ビリ」という事実は衝撃でしたね。
そんな“社会の洗礼”を受けた後、私が配属されたのはヘッドハンティングを行う部署でした。経営者に幹部人材の採用を提案するのが主な業務なんですが、これがまためちゃくちゃ難しいんですよ!
若干22歳の社会を何も知らない若造が会社経営者にアポを取り、数百万円の着手金をいただいた上で、採用に結びついたら更に追加で成果報酬をいただく。そんな難易度の高い仕事だったので、当然ながら全く受注できませんでした。
それでも何とか成果につなげたくて、とにかく自分にできることは何でもやろうと朝4時半に起きて仕事に向かい、へとへとになって夜中2時に眠る日々。
当時はがむしゃらだったのでそこまで実感がなかったものの、今振り返ってみると地獄でしたね。同時に「何もあんな朝から晩まで働かなくても、もっと効率的で上手いやり方があったよな」とも思うんですが(笑)。
でもそうやって働きまくったおかげか、次第に結果もついてくるようになり、嬉しいことにトップの成績を出せるようになりました。テレアポ1件取るのも難しかったスタート時点を考えると、我ながら頑張ったなとは思います。
ちょうどその頃でしょうか。知り合い2人と起業する話が持ち上がったんです。
元々「勉強が得意ではなく学歴も高いとはいえない自分でも、ちゃんと活躍できると証明したい」という思いはずっと胸にありました。
そして年間数百人の経営者と関わり、様々な会社に触れるうち「自分で会社を立ち上げて伸ばしていけば、その“証明”ができるのではないか」と考えるようになったんです。
「就職して約3年、結果も出せるようになってきた。であれば今挑戦するしかない!」と会社に退職の意向を伝え、早速準備に取りかかったのですが、ある事件が起きます。一緒に会社を設立するはずだった2人が事情により独立できなくなり、起業計画が白紙に戻ってしまったのです。
ここに来てまさかの事態すぎて、しばらくは呆然としてしまいました(笑)。
とはいえこのまま立ち止まっているわけにはいかないですし、それにもう二度と起業できないわけではありません。
新規営業以外のスキルや経験を積めば、自分にとっても大きな財産となる。将来再び会社経営という選択ができるかもしれない。そう考え直し転職活動を始め、結果複数の企業から内定をいただくことができました。
その中でより多くの新しいことに挑戦できそうで、経営者とも近い距離で働けるUZUZに魅力を感じ、入社を決めました。
入社してからはキャリアアドバイザー業務(求職者の方に対する就職支援)の他、リクルーティングアドバイザー業務(若手を採用したい企業への採用支援)にも従事しました。
初めての業務でしたが、周りのサポートもあり成果を出すことができ、2年目には営業部長、3年目には事業部責任者、4年目には当時の新支店である横浜支店長を任せてもらえるようになりました。
これだけを切り取ると「順風満帆なキャリア」のように見えますよね(笑)。でも、実際のところは全然違います。
責任あるポジションに自分を選んでもらえたのは嬉しかったですが、身の丈に合わない役割にプレッシャーを感じ、押し潰されそうになったことが何度もありました。求められる結果を出せず、苦しんだことも多々あります。
横浜支店を立ち上げたばかりの頃には、私の実力不足により伸びが鈍化し、メンバーにも大きな負担をかけてしまいました。
このように多くの失敗や挫折を繰り返しながら、それでも信じてくれた当時の上司や役員、そして付いてきてくれたメンバーがいるからこそ、今の私があると思っています。
横浜支店長を務めた後は、UZUZ史上最年少で執行役員に就任し、コロナウイルスによって業績が悪化した本社の立て直しなどに奔走しました。先行きが不透明な中、業績回復のためできることは何でもやり、まさに「死に物狂い」な毎日でしたね……。
結果として、社員全員が頑張ってくれたおかげで売上は見事V字回復。一時はどうなることかと思ったので、このような成果を出せたのは本当に良かったです。
そして現在は新たにグループ会社ESES(イーエス)の代表を任され、UZUZの執行役員と兼任しながら日々ミッション達成に向けて業務に励んでいます。
※白川はESESでの業務を中心に行っているため、以下内容は「ESESについて」がメインです
現在は、グループ会社である「株式会社ESES」の経営と現場業務に力を入れています。
ESESは自社のITエンジニアを他社に派遣し、技術力を提供するSES(システムエンジニアリングサービス)企業で「SES業界をより良いものにしたい」という想いから設立されました。
UZUZでもSESを中心としたIT企業を多数ご紹介しているのですが、求職者の方の中には「IT業界=ブラック」「SES=闇が深い」といったネガティブな印象を持っている方もいて。
もちろん良い会社はたくさんありますし、私たちも信頼できる会社だけをご紹介しています。でも残念ながら世の中には、ネガティブなイメージ通りの会社があるのも事実です。
でもせっかく将来性のある業界・職種なのに、マイナスな印象を持たれてしまうのってすごくもったいないじゃないですか。だったら私たちが“風穴”となって業界を根本から変え、ウズウズ働くエンジニアを増やしたいと思ったんです。
こんな経緯で立ち上がったESESですが、私が特に力を入れているのが「採用」と「営業」です。
現在のIT業界は「エンジニア数(供給)」に比べ「エンジニアを採用したい企業(需要)」の数が圧倒的に多く、特にスキルがあるエンジニアには多数の企業から声がかかります。
ESESは名の知れた有名企業でも大企業でもないので、何もしなければ当然選んではもらえません。そのため何よりも「質」を重視し、他社との差別化を図っています。
例えば求職者の方に向けたスカウトメールも、同じ内容を一斉に送信することはありません。一人ひとりの経歴を読み込んだ上で、1通1通その方に合わせた内容を送ります。SNSなどで入社してほしい方を見かけたら、私や営業担当自らお声がけすることもあります。
決して楽ではないのですが、その分求職者の方からの反応は上々です。採用は絶対に手を抜きたくない部分なので、今後もこのやり方を続け、更に採用速度を上げていくつもりです。
また、良い人を採れたら終わりではありません。入社したエンジニアにより良い案件を紹介するには「営業」の力が必要不可欠です。
ESESではSESエンジニアの働き方を変えるべく「クライアントから提示された単価をエンジニアに公開すること」「それを高い還元率で給与に反映すること」「エンジニアが自分で案件を選べるようにすること」などを約束しています。
そのため営業担当は、エンジニア一人ひとりと「どういったキャリアを歩みたいのか」「どんなスキルを身につけたいのか」「どのくらい稼ぎたいのか」などを念入りにすり合わせ、納得できる現場を一緒に決めていきます。
こちらも簡単な業務ではありませんが、入社してくれたエンジニアに「ESESに入って良かった」と思ってもらうため、特にこだわっている部分です。
私自身初めての会社経営で、IT業界での経験もなく右も左も分からないところからのスタートだったので、正直最初はめちゃくちゃ大変でした。
でもだからこそ変なバイアスをかけず行動できましたし、目の前のやるべきことに真っ直ぐ取り組めたかなと思います。
「代表取締役」はあくまでも役割のひとつなので、自分の中で特別大きな変化があったわけではないものの、UZUZで役員だけをやっていた頃よりも視座は確実に高くなりました。
だからでしょうか。毎日がとても楽しく、今まで以上に仕事に打ち込むことができています。
ESESは2021年創業のSES企業の中でNo.1の成長を遂げ、自分で言うのもアレですが「今ノっている企業」です。
でも、現状に満足するつもりはこれっぽっちもありません。私自身、採用したエンジニアがウズウズ働く姿を見るのが何より嬉しいので、そうしたエンジニアをもっと増やすためにも更に会社を伸ばしていくつもりです。
私が思う「UZUZ」の強み
UZUZの強みは「変化スピードと改善力」です。
良いと思ったものはすぐに取り入れ、違うと思ったら一旦止める。加えて、どれだけうまくいっている時でも「もっと良くできるはず」と考え、1%でも改善ポイントを見つけ出そうとする。ミスが発生した時は人ではなく仕組みを疑い、今後同じような事象が起こらないよう分析し続ける。
この姿勢の徹底が、社員一人ひとりの成長速度を上げ、UZUZそのものの発展にもつながっていると思います。
そしてESESの強みは「圧倒的エンジニアファースト」と「成長性」です。
先ほども少しお話ししましたが、ESESでは「単価評価制度(クライアントからいただいた単価を元に給与が決まる制度)」「案件選択制度(エンジニア自身が案件を選べる制度)」などを導入し、業界最高水準の報酬をお渡ししています。
「エンジニアが描きたいキャリアの実現」を第一に考えているので、無理に配属先を決めることも、給与を搾取することもありません。
加えて営業担当者には、私含めて全員キャリアアドバイザーの経験があります。エンジニアが自身の方向性に迷った時、親身に相談に乗れるよう、体制は万全に整えています。
また「成長性」に関しても、先ほどもお伝えした通り業界内でNo.1の成長率を誇っており、今後もその速度を緩めるつもりはありません。
更に「エンジニアファースト」な会社となれるよう、新たな制度の導入などもスピード感を持って進めていく予定です。
今後の目標・展望
今後はグループ会社全体を通して、社会に価値提供できる範囲を広げつつ、同時にそれぞれの業務を深めていきたいと思っています。
若者の就業支援からスタートしたUZUZも、IT人材の就職・リスキリングを後押しする研修事業(ウズウズカレッジ)や、採用に悩む企業の採用マーケティング支援など、必要に応じて事業の幅を広げてきました。
そして現在は、SESエンジニアがウズウズ働ける世の中をつくるため、グループ会社ESESの設立も果たしています。
それぞれの事業は、相互に関わり合うことで更に発展していくはずです。今後「UZUZグループ」として成長するためにも、各事業の社会への影響度を今以上に高めていきたいです。
どんな人に来てほしいか
UZUZには「理想」と「結果」を追い続けられる方に入社していただきたいです。
UZUZは成長企業ですが、まだまだ道半ばで未熟な部分がたくさんあります。だからこそ、社員一人ひとりの成長が欠かせません。
壁にぶつかり、逃げ出したくなった時。そんな時でも自分と向き合い、理想と結果に向かって走っていける方は、きっとUZUZで大きく活躍できるはずです。
ESESは、何よりもまず「今後もエンジニアとして活躍したい気持ち」がある方に入社していただきたいです。
加えて今の環境に納得していない方や、より良い企業を探している方。そんな方は特にESESがぴったりです。
例えば「自分の価値に見合った給料が欲しい」「スキルアップしたい」「透明性のある企業で働きたい」「ワークライフバランスを保ちながら働きたい」などの希望は、全てESESで叶います。
私たちに、皆さんの理想のキャリアを描くお手伝いをさせてもらえると嬉しいです。